CCII 京都大学大学院医学研究科附属 がん免疫総合研究センター

本庶佑教授の紹介

研究人生の軌跡

本庶先生が東大栄養学教室に在籍されていたころに、銀座のレストラン「ルネ」にて。向かって左から、片岡徹先生、矢尾板芳郎先生、髙橋直樹先生、川上敏明先生、清水章先生。
1966年11月30日にJacques Lucien Monod博士(1965年ノーベル賞受賞者)と本庶佑。
早石修先生と。
The 55th Nobel Symposium “Genetics of the Immune Response” Saltsjobaden, Sweden, June 15 – 17, 1982; 向かって左から、Matthias Wabl, Tasuku Honjo, Göran Möller (co-organizer) , Leroy Hood.
© Nobel Media AB/Alexander Mahmoud

1942年京都市生まれ。1966年京都大学医学部を卒業。アーサー・コーンバーグ博士と並び、生化学・酵素学のパイオニアと称される早石修博士に師事し、早石博士の門下生である西塚泰美博士に直接の指導を受け、医化学を学んだ。1971年から1973年の三年間はカーネギー協会(現カーネギー研究所)発生学部門にて、その後1974年までは米国国立衛生研究所(NIH)傘下の国立小児保健発達研究所国立成育医療研究所(NICHD)にて、客員研究員として研鑽を積み、1975年に京都大学より医学博士号を取得している。

米国より帰国後は、東京大学医学部の助手を経て、大阪大学医学部の遺伝学教室教授に就任。1984年には母校である京都大学医学部医化学講座教授となり、研究の傍ら、多くの優秀な研究者を輩出した。

2004年に京都大学医学部を退官後も、寄付講座「免疫ゲノム医学」教授、高等研究院副院長として京都大学に籍を置き、現在に至っている。また、大学での研究・教育活動の傍ら、日本学術振興会学術システム研究センター所長(2004年〜2006年)、内閣府 総合科学技術会議 常勤議員(2006年〜2012年)、静岡県公立大学法人 理事長(2012年〜2017年)、公益財団法人 神戸医療産業都市推進機構 理事長(2015年〜)など、公職も多く務めており、長年に渡って我が国の医学・科学の発展に尽力を続けている。

本庶教授は、米国国立衛生研究所(NIH)での客員研究員時代に獲得免疫応答の遺伝的基盤に関する研究を開始し、帰国後も一貫して抗体遺伝子が多様化する分子機構の研究を精力的に続けた結果、免疫グロブリンのクラススイッチ組換え機構を発見し、また、B細胞成熟過程に必須の多数の分子を同定するに至った。例えば、クラススイッチの組換えに重要なサイトカインであるIL-4とIL-5、及びIL-2受容体α鎖のクローニングに成功し、1999年には活性化誘導型シチジンデアミナーゼ(AID)というクラススイッチ組換えと体細胞突然変異の両方に不可欠な遺伝子編集酵素の発見を発表した。

PD-1は、1992年に本庶研究室でアポトーシスに関連して発現が変化する遺伝子を探索した際に初めてクローニングされたものである。当初PD-1はアポトーシス誘導遺伝子として期待されたものの、なかなかその本質を明確に示す結果は得られなかった。しかし約10年をかけて、推論と実証を積み重ねた末、本庶教授はPD-1経路が腫瘍免疫の負の制御因子としての役割を担うことを証明し、PD-1の機能を確立することに成功した。この成果こそが、がん免疫を誘導する全く新しい手法を切り開き、後にがん治療に革命をもたらすこととなった大発見である。

これら研究人生を通じて成し遂げた数々の功績により、本庶教授はこれまで国内外より多くの賞・名誉を受賞している。1996年恩賜賞・学士院賞、2000年文化功労賞、2012年ロバート・コッホ賞、2013年文化勲章、2014年唐奨(Tang Prize)、2016年の京都賞など、枚挙にいとまがない。そして2018年、PD-1の発見と免疫反応のプレー機機構阻害を応用したがん治療の発明といった成果について、研究者として最高の栄誉であるノーベル生理学・医学賞をジェームズ・P・アリソンと共に受賞した。

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